多様性は喧嘩や衝突が絶えない?

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厚労省の多様化という言葉から思ったことを自由に綴ってみます。

多様化、多様、多様性といえば、「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」が私の中でリンクしました。

そして、本の帯にある「多様性ってやつは喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」というフレーズが強烈で、PCが検索ワードを探すようなモードで頭がぐるぐる。

多様性ってやつは、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ

楽じゃないものがどうしていいの?

楽ばっかりしていると無知になるから

ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー
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多様性は違いを知り自分事にすることから始まるのかも

多様性と「喧嘩」「衝突」というワードが、私の頭の中で当初、全く結びつきませんでした。

それに「無知になるって?」

えっ?????とクエッションだらけ。

でも、本を読み進めていくと

なんとなく言いたいことが伝わります。

英国という場所から見えている多様性。

日本にいると「多様性」は良い面々ばかりが情報として入ってきますが

本から分かる「多様性」は

人種、宗教、階級、教育、思想などが

日常のあらゆるところで複雑に絡み合ってます。

その様子から、深く掘っていけば

多様性は確かに喧嘩になるし

衝突は避けられないのだろうと思えた。

そして、自分事にして初めて多様性は成り立つものなのだとも。

自分事にするには、学びが必要になるってことかも?

例えば、沖縄の障害者は長い間、差別されてきました。

そして家族が障害のある人を隠し、一生を病院で終える人もいました。

でも現在、国の政策では、病院に閉じ込めるのではなく

地域生活へ戻す施策が動いています。

その一方で、地域に戻る障害者を受け入れたくない人々はいます。

地域での暮らしを拒む人たちがいます。

多様性を認めるといいながら、多様な生き方にOKを出せない。

望みは一方的に力の弱い者に押し付けられています。

受入れる側が自分事にしない限り

障害者の叶えられない日常はあるのです。

障害のある人が地域で暮らせるようにするためには

学びが必要なのだと思っています。

今の私と同じように暮らせるために

その人のことを学ぶ。

それらを勝ち取るためには、喧嘩も衝突も避けては通れないのかもしれない。

本の中で語られるように

多様性とは、良い面ばかりじゃなく

「喧嘩」や「衝突」が絶えないことかもしれない。